"ある日のちょいメモ"
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元来、言葉や文字にするということが苦手なうえ、何をするにも飽きっぽいタチなのであります。
テーマとして取り上げたことに対してはものすごく興味があっても、それを自分の言葉として、文字として綴るということがうまくできず、そして続けることにも苦労します。
だからでしょうか。
音楽や絵、書、料理などを継続して創造し続けている人には、ただただ感心させられ、そして尊敬の念を抱くのです。
メモをするとき。
紙のメモ帳に書く場合やパソコンやケータイで、と状況や気分によってどれを選択するかは変わります。
それぞれ長所があり、また互いの短所を補いますから、現在はどれがなくなっても不便です。
ただ‥
メモが必要なくなったとき。
パソコンなどでは、ポチっと
「削除」
すれば一瞬でなくなりますが、
ロディアやニーモシネなどのように、
ミシン目で
ビリビリッ
と破いて
クシャクシャッ
とまるめて
ゴミ箱に
ポイッ。
っという、紙であるがゆえに得られる感触にくらべると、
何かがもの足りない
気がします。
いったいなんだろう?
Twitterで、いろんな人のTLを眺めていて思うのは、
「結局人は知りたいし知らせたいんだなぁ」
と。
Twitterだから、ということではないのですが、Twitterでそれが顕著になったかと。
誰かが持っている情報を積極的に得るときもあれば、偶然目にとまることもあります。はたまた情報そのものよりもそれを発信している人に興味を持ったり、と。
そして同時に人は、自分の考えや存在を知らせたい気持ちも持ち合わせているのではないでしょうか。
ある人の情報を常に得ようと、フォローというボタンを押した瞬間、相手に自分の存在が知られることはわかっているのですから。
このあたりが、情報を得るという目的は同じであっても手段としてはRSSリーダーなどとは大きく違うところでしょうか。
情報の裏側にいる、ダレカ×ジブン。
存在。